『世界中の大自然をアウトドアTRIP』しながら暮らす生活に終止符を打ち、
2020年12月1日に北海道を離れ、家探し旅の末、
大分県で広ーーーい敷地の古民家をベースに暮らし始めました。
ここでの暮らしは、
京都の山郷で暮らす、
旅友”朝陽”からヒントを得てスタートしました。
彼は、自身のブログにこう綴っています↓
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食べ物を買うとき、出来あいのものや外食をすれば使う生活で、食材を買って調理すれば半分だけつくる生活。そして、畑から育てればつくる生活。お湯を沸かすとき、水道の水をガスコンロで沸かせば使う生活、井戸水を汲んで薪で火を焚いて沸かせばつくる生活。
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この文章を読んだ時(全文はもっと長いです)、
これまで脳内を飛び交っていた色んなモノが、
「スパコーーーン!!!!!」と、一つに繋がった感覚がありました。
もしかしたら僕の理想の生き方は、
彼の言う”つくる生活”にあるのかもしれないと思ったのです。
1杯の珈琲を淹れるために、
ボタンを押せば自動で豆を挽き、
自動でドリップし、
顔を洗ってる間にモーニングコーヒーが出来てる使う暮らし。。。
はたまた、1杯の珈琲を淹れるのに、
大好きなタイから買い付けた珈琲生豆を、
自宅の森で拾った薪を使って起こした焚き火で焙煎し、
ゆっくり冷まし、ゆっくり手挽きして、
これまた薪で沸かした湯を注ぎ(この水も敷地内から湧く地下水です)、
丁寧に時間をかけてハンドドリップする。
前者は5分程度で、出来上がるのに対して、
僕の暮らしは、1杯の珈琲を飲むのに、短くても3時間くらいかかるのです。
もちろん、インスタントコーヒーを使って、
秒で出来上がるコーヒーもあるし、
それがダメだという訳ではなく、
僕は3時間かけて淹れる珈琲を飲んで、
一つ一つの物事を丁寧に暮らしていたいのです。
これまでの僕は、
大嫌いな資本主義経済の枠組みの中で、
いかに自由に生きるか?
いかにやりたいことをやるか?ここを基準に生きてきました。
『資本主義経済の枠組みの中』と書きましたが、、、
この枠以外の場所で生きていくという発想はなかったわけで、
もっと言うと、生きる世界を自分で創り上げていくという考えは存在しませんでした。
結局の所、
ノマドワーカーとして世界中旅する人生を実現していたとしても、
大嫌いな資本主義ステージの枠組みの中で、
理想郷を探して旅し続けていたに過ぎず、
それではいつまでも、
心の底から安らげる”自分の居場所”なんて見つけられないというのは、薄々気づいていた事であって、
けど、幼い頃から植え付けられた枠組み以外のカートリッジに抜き変えて、
そもそも別のステージを楽しむというのは、思いつきもしなかったのです。
理想郷は世界中に数あれど、
そこはあくまでも旅先の理想郷であって、
自分の居場所ではありません。
ただ、これまでの長い旅人生のおかげで、
自分にとっての理想郷が何たるか?は、
ハッキリとした物差しで図ることができ、
目を閉じると生々しく、
タイの山村の風が稲穂を揺らし、
ニワトリのコケコッコーで目覚めたり、、、
心地よい潮風が吹く南の島々では、
日本人みたいに外見ばかり気にせず、
太ったオバちゃんがビキニを着てビーチに寝転び日焼けをし、、、
すれ違う人々は皆んな笑ってて、、、
そんな生き方のスタンスや考え方の理想郷。
既に世の中にある理想郷を探す(使う)。
既に自分の中に明確化された理想郷を創る。
この2択を選ぶと言う分岐点までに、
34年の歳月がかかりましたが、
コレは良いコレはダメとか、、、
34年で創ってきた自分の感覚を大切にしながら、
理想郷を創る暮らしに今チャレンジしてるのです。
”NEO縄文” 使う暮らしから、創る暮らしへ。
僕はこの暮らしを、こんな風に言語化してみました。
NEOっていうのは、
完全に新しく生み出すNEWではなく、
古くからあるもの既にあるもの新しく思いついたもの、
これらをチャンプルーして、新しい形を創っていく。
そんな意味合いで、NEOと名付けました。
そこに縄文がついて、NEO縄文。
縄文時代ってのは、
どんな時代だったのかは歴史としてしか当然知らず、
僕のイメージとしての縄文が正しいかは分かりませんが(歴史はGHQによって塗り替えれれています)、
僕の持つ縄文のイメージは、
今よりもっともっとピースフルで、生きることに直結している感じ。
つまりNEO縄文ってのは、
【古きも新しきもチャンプルーして、34年の人生で創ってきた価値観を大切にし、お金の為ではなく生物として生きる事にフォーカスし、問題が生じた時にお金で解決するのではなく、頭をひねって創って解決できないか?を、まずは考え、現代のように、お金を貯める暮らしではなく、経験や人脈や幸せや信頼なんかを貯めていく。】そんな感じでしょうか。
このNEO縄文の暮らしで、
これまでのようにバックパック背負って旅するスタイルは減るとは思いますが、
旅ってのは、実際に移動するのも旅だけど、
理想の暮らしを追求するのも、僕にとっては壮大な旅の一つ。
今はこの選択を信じて、
日々、リアルに、誠実に、嘘なく、自然のままに、
自分の価値観を信じて、ピースフルに、
そして相変わらずのフリーダムさで生きていってみようと思います。
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